SNSと空気
近すぎる人間関係の距離ほどストレスフルなものはない。つい最近の仕事での話。ある講演会で聞いたことで印象的な一節があった。それは「孤独ではなく孤高」という言葉。生まれつきマイペースな人びとはどうしても周囲の流れから取り残され孤独になりがち。しかし周囲の流れから外れるというのは必ずしも悪いことではない。むしろ外れたことでしか分からない事もあるだろう。大抵そんなタイプの人物は一人で人生を楽しむ能力をもった人々のことなのだ。そんな内容の講演会だった。
この辺の話は最近読了した蛭子能収さんのエッセイにも通ずる。
あまり他人とのコミュニケーションが得意ではない自分にとって上記の講演と書籍は大いに勇気づけられる体験であった。しかし自分自ら孤高になろうとするには大変な勇気と決心が必要となる。
特にFacebookやTwitterなどを使っているとプライバシーはあってないようなものとなる。いくら匿名で使っていてもロックをかけていても誰かが常に見ているという意識は必要なように思う。
そして困ったことにFacebookやLINEなどのmessengerが常に自分のプライベートに切り込んでくる。心の中をズタズタと切り裂いてくるといった方が正解なのかもしれない。情け容赦ない。
しかも人間のコミュニケーションにおいて言語が影響を及ぼすのはほんの微小な割合に過ぎない。相対する人の微妙な表情の変化や手先の動き、声色や姿勢などのほうがよっぽど多くの情報を与えてくれる。会話と会話の間も重要な要素だ。
この辺は確か科学的にも実証されているはずだ。こういった要素を全て切り捨ててテキストを介してコミュニケーションを取るのはよっぽどの深い配慮と遠慮が必要になる。
大抵気持ちと気持ちの行き違いが生じる。遊びに行く予定を確認するぐらいだったらいいのかも知れないがそれ以外で全く必要性を感じなくなった。今頃気づくのもちょっと遅いのかも知れないが。
というわけでFacebookのグループなどを整理することにした。本当はアカウントを全て消去するつもりだったのだが色々なWebServiceとFacebookは連結しているのでアカウントは残すことに。結局自分は孤高の人にはなれないな。