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ひびのいろいろ

だってしょうがないじゃない

お気に入りの映画館「ポレポレ東中野」で上映されていたドキュメンタリー。

まとまった1日単位の休みができた時に僕はまずこの映画館のスケジュールをチェックする。そして面白そうなドキュメンタリーがあればまず第1にこの映画館で映画を見る。東中野駅から歩いてすぐの場所。地下一階にある映画館はとても居心地が良い。映画の待ち時間の間はこの映画館の上にあるカフェでゆったりとした時間を過ごせるのも凄く気に入っている。

https://www.datte-movie.com

だってしょうがないじゃない」は自閉症と軽度知的障害をもつ伯父(まことさん)とADHDと診断された映画監督のドキュメンタリー。まことさんは母親を亡くして独り暮らし。親戚の人の助けをかりて障害者年金を受給されながら暮らしている。生活は自閉症の方ならではの拘りに支配されている。端からみるとかなり息苦しいように思えるような生活だが、なんとなくの安心感もある。それは僕自身が自閉的傾向があるのからかもしれない。一定のリズムで生活している姿、変わらない変化が少し心地良いのだ。

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でもこうやって「まことさん」が安定的?に生活できるのは周囲の人の助けがあってこそだ。成人になってから医学的な診断をうけ、福祉サービスに繋がったのは凄く幸運なことだと思う。僕らより上の世代は発達障害という概念自体がまだ世の中に浸透していなかった。だから「まことさん」と同世代で診断もされず、周囲にも理解されないままに苦しんでいる人々はきっと沢山いるのだろう。そういう意味で人との繋がりが無いようでいてちゃんとあった「まことさん」は凄く幸福な人なのかもしれない。

男はつらいよ

久々の映画だった。正月休みに是非とも行きたいと思っていたので早速この映画を見に行った。

www.cinemaclassics.jp

子どもの頃、映画「男はつらいよ」は僕の父親が休みの時には決まって見ていた映画だった。映画館に観に行ったことはなく、テレビのロードショーをVHSに録画しておいたものを日曜日の昼間とかに家族で見るのだ。そして、寅さんの行動を見ながら居間のテーブルに家族四人で泣くほどに笑いながら 「またまた!トラの奴はだめだなぁ」と言い合いながら映画を見ていた。最後に美女に振られるというストーリーは分かっていながらもそれでもその予定調和というか変化のなさ(様式美)に安心しきって平和なひとときを過ごさせてもらった。途中から寅さんはほとんど出演しなくなり、甥の満男中心の物語になったのだけれどそれはそれで大好きな作品だった。満男演じる吉岡秀隆氏が僕と同世代というのもあるのかもしれない。氏の主演した「北の国から」と同時に僕は大人になったのだ。

そしてやっぱりこの映画を見て良かったと思った。途中から泣けてしかたがなかった。もう一回 会いたいけれど会えない人をひたすら想う作品。そんな気がした。それは自分の幸せだった時代(歳を取ると昔は幸せだったと思うものだけれど)がもう二度と戻らないのだ、としみじみ想うことにも似ているのかもしれない。だから途中から泣けて仕方なかった。なんでこんなに泣けるんだろうと思うほどに泣けてしまった。

劇場はお年寄りばかりだったせいもあってか、昭和の映画館のような雰囲気が満載だった。映画が終わり、最後に客席から自然と拍手が巻き起こった。そんな映画は自分は初めてだったし、でもそんな映画なんだろうと思った。

映画 閉鎖病棟ーそれぞれの朝ー

www.toei.co.jp

職業柄 映画の背景にちょっと興味があったのと 連休中に事務仕事がたまっていて何か気分転換をしたくてこの映画を見に行ってみようと思った。舞台は長野県にある閉鎖病棟を有する精神病院。そこに入院している3人の患者さんを中心に物語が進む。しかしかなり精神病院(閉鎖病棟)と患者さんの設定に異和感があり、物語にとても入り込めなかった。この映画には精神科医のアドバイザーとかいなかったのだろうか?と思う。

なにせ主人公の1人は死刑執行に失敗した死刑囚が行き場所がなくて 精神科病院をたらい回しにされているという設定なのだ。その他の登場人物の設定もなんだか色々おかしい。そしてなによりも閉鎖病棟なのにまったく患者さんが守られていない。作家はなにを根拠にこんな設定をしたのだろう。精神科病院に大きな偏見があると言わざるを得ない。こんな映画が全国的に放映されれば精神科に対する偏見が益々増加するばかりだと思う。

しかしそれに反して役者の演技が素晴らしかった。特に主役3人の演技は特筆すべきものがあった。それを見るだけの価値はこの映画にはあるのではないかと思う

自殺で遺された人たちのサポートガイド―苦しみを分かち合う癒やしの方法―

自殺で遺された人たちのサポートガイド―苦しみを分かち合う癒やしの方法―

自殺で遺された人たちのサポートガイド―苦しみを分かち合う癒やしの方法―

1日で読み切った。重い話題の書籍などで途中で息つく暇もなかったというのが本音だった。身近な人が自死するというのはその辛さがとても想像できないほどに過酷な事象だろう。でも、それは稀なことでではない。日本では減少傾向にあるとはいえ、毎年1万人をゆうに超える人々が自ら命を断っている。ということはその周囲にいる関係者も数万単位で存在するということだ。

それは保護者だったり兄弟だったり、子どもだったり配偶者だったりするのだろう。本書はタイトル通り自殺で遺された人々に向けて描かれた書籍だ。

具体的な事例が膨大にわかりやすく書かれていることで、「あなたはひとりではありません」というおそらく本書で作者が一番言いたいことが嫌でも伝わってくるように思われる。そして遺された人々がどんな感情が出てもそれは不思議なことではない、ということも大きな助けになると思う。サポートグループの存在とその重要性についても、知らない人は知らないだろう。とにかく孤立しがちな人々にとって望みの1つとなるような本だと思う。こういう書籍を日本語化してくれた人々には本当に感謝したい。

第九章の「親を自殺で喪った時」は子どもの臨床を私はしているので大変ためになった。特に幼い子どもにどう伝えるか?という点から参考にすべきことが多かった。

また最終章の回復に向けての言葉も具体的かつ実践的で良い。それは以下のようなものである。

  • 何故だったかは決して分からないでしょう
  • 悲しむことと愛することは違います
  • 紙に書いてみましょう
  • 本を読むこと
  • 他者を手助けする-あなたの学びを活かすこと
  • 故人を記念するもの

巻末には推薦図書や自死遺族を支援するサポートグループの紹介もある。こういう所に優しさというか良心を感じる。とにかく自分が今の仕事をやっていく上で回避できない問題だけにこれからも勉強は続けていかなければならないなと改めて思った9月の連休であった。

Jake E Lee のESPギターと誕生日の夜

久しぶりにギターをバンドで弾くことになった。大学を卒業したのが20代半ばだからほぼ25年ぶりくらいにバンドを組むことになった。職場のお仕事的な趣きが強いのだけれど、ちょっとワクワクしている自分がいたりする。やはり音楽というものは自分を無心にすることができる。

自分への劣等感と周囲への嫉妬でもがき苦しんだのが20代の自分であった。どんなに努力しても周囲と埋め切れない差というものがあるのだと現実を叩きつかられた時代だったと思う。そんな時の自分を救ってくれたのが音楽だった。音楽を通して出会った仲間とは本当に素直に自分をさらけ出すことができた。そんな仲間との出会いがなければ、僕は生き残ってこれなかっただろう。そんなことを20年以上経った今になって実感する。

あの時代に自分を表現する手段は確かに音楽しかなかった。そしてその時の仲間は、現時点で全く交流はないとしても今自分の生きる財産になっている。それは宝物だ。もうあの時代に二度と戻ることはできないとは分かっている。でもそれを実感できるからこそあの自分の時代は圧倒的に愛おしい。

そんなことをすこし振り返りながら自宅でギターの練習をしようと思う、 ただし、その時に弾いていたESPのアーティストモデル(ジェイクイーリーモデルのストラト)は劣化が激しく、とても弾ける状態じゃなくなっていた。当時はこのギターとADAのプリアンプさえあれば無敵であると思っていたのに残念だ。そしてギターの腕前もまるで初心者戻ったかのように劣化していた。

それはそれでいいのではないかと思う。ギターを抱きしめて寝た高校時代を思い出せばいい。そして音楽に感謝すればいい。そう思った誕生日の7月だった。

47歳の夏

転職?職場を約20年ぶりに変えたのは今年の4月からだった。20年ぶりといっても四捨五入してだ。実際は15-6年ぐらいだ。そんなことはどうでもいいか。でも長く長く努めた職場を変えたのだ。自分の故郷の1つとお別れをしたのと同じことだ。新しい職場に慣れるのにも時間がかかった。特に4-5月は大変だった。6月も大変だった。というか今も大変か。

しかし、精神的および肉体的な負担が少し軽減されたのは事実だと思う。生活にちょっとの間ができて睡眠時間もまとまって確保できるようになったのだ。そして久しぶりに仕事でこれまた以前の職場に戻った。台風が近づいてきてちょっと行けるかどうかが微妙なところだったけれど。 以前の職場は(まだ数ヶ月しか経っていないので当たり前だけれど)全く変わっていなかった。不思議な感覚であるが、変わっていなかったのだけれど随分と久しぶりに訪れたような まるで数年ぶりに故郷を訪れたような感覚だった。

数時間の仕事を終えて、その場所のかつて働いていた場所の最寄り駅の小さなイタリアンで1人食事をとった。 店主が1人で切り盛りしている所謂「ワンオペ」の小さなイタリアンだ。中年男性の店主はにこりともせず、かといって冷たい感じもせず黙々と仕事をする所作が美しく僕はとてもこの店を気に入っていた。そしてやっぱりこの日も無愛想だった。そして、たった1000円のランチはいつも通りに格別美味しかった。

過去の思い出にいつまでも浸ってはおれないが これで明日からまた働くことができるな。そう思った7月の土曜日だった。

Pasta 303 Nero - 千葉県 市川市 - イタリア料理店 | Facebook

異動の3月 西八王子の夜

4月から職場を変わることになった。自分の人生の中ではわりかし大きな変化なのではないかと考えている。

今の職場に移ってきたのはまだ子どもも産まれておらず、田舎からやってきた。仕事の業務内容が今までと大きくかわり、本当にストレスの多い日々だった。子どもが生まれたりしたのでお金を稼ぐ必要もあったし結構大変な日々だった。月に二桁ほどの夜勤をこなした日もあった。

それでも数年がすぎてある程度適応してみると随分と居心地がよくなり、その居心地の良さに甘えてしまっている自分もいるなぁと実感した。だからという訳ではないが環境を変えることにした。「自分が大変だなぁと実感できる環境に常に身を置きなさい」という言葉が心の片隅にあったせいもある。

そうした経緯の中 送別会も終わって、感傷に浸っている間にふいに音楽が聞きたくなって「踊ろうマチルダ」のライブに行ってきた。

西東京の居酒屋で行われたそのライブは会場が狭くほぼ立ち見。人でごった返していた。夜の20時にスタートして2時間ちょっとぐらい続いたと思う。圧倒的に心の中に染み入る声に僕は満たされていた。音楽で別世界に行けるというのはこういうことなのかもしれない。派手な音楽ではないけれど、わかる人にはわかる。そして決して第一線になることはないけれど、永遠に語り継がれる音楽になるだろう。

素晴らしい音楽(詩)を聴きながら僕の仕事(臨床)もこんな風になれたら良いな そんな仕事をしていきたいなと心に浮かんだ西八王子の夜だった。