ライカに関してのエッセイを読んだ【書評】
ライカの本を読んだ
前の記事にも書いたとおり、親父から自慢のライカのカメラを譲り受けた。もうこの年齢になると形見みたいなものだ。デジタルライカのM9/8という2つのモデル。 レンジファインダーという種類のもので、とっかかりは自分にとって難しかった。
設定はF値とISOを決めるぐらいなのだが、これが中々難しい。なにせ撮影してそれをカメラ本体の液晶で確認するのだけど、この液晶が雑すぎてほとんど確認にならない。しかしSDカードをMacBookproに差し込みそれを見た途端に驚愕する。なんとも言えない淡い独特の色合い。ファインダーもあんまり当てにならない。
日本のデジタルカメラに存在するような機能はほとんど皆無。限りなくアナログカメラに近いカメラなんだろうと思う。
このライカとの出会いをきっかけとして読んだ本がこちら。
元々有名なカメラマンの田中長徳先生のライカエッセイだ。最近のデジタル・ライカについて述べているのではなくアナログ・ライカについて書かれている。
ライカはもともと耐久消費財で親から子どもに,それがまた孫に伝承されるのである。これは文化だと思う。昨今のデジタルカメラは,売る方は3ヵ月勝負で使う方は3年経過したらゴミになるらしい。これは文化ではなく,消費というものだ (P18)
そう僕が自分の親父からこのM9/8を譲り受けてそれが今でも十分に使用できるようにライカは親子2世代とか3世代を通して使うことができるものだ。日本のデジタルカメラでこんなことができる製品はそうはないだろう。
あたしが写真について心から話をしたいのは,フィルムライカを「見えない的の撮影」あるいは「自己の芸術的、あるいは哲学的探求」に使っている人たちだ (P37)
こういう部分は上手く言葉に表現することは難しいけれどアメリカのAppleの昔の製品群に近い哲学を感じてしまう。恐らくこれからもずっと愛されてゆく製品なのだろうなぁと感じる。
ライカで撮る写真の醍醐味は、予期しないような現実の断片が無遠慮に画面に侵入してくることにある.その意味でライカのファインダーは、あたしの場合は不正確な方が望ましい (P153)
この部分も自分でシャッターと切ってみて初めて分かった。兎に角自分の枠の中に入りきれない部分 そういう部分にたまらなく惹かれるのだろう。
ライカに対する愛情がこれでもかと詰まった本書。こういう書籍というのは本当に楽しく魅力的だ。