漂流教室
楳図かずお氏と言えば「まことちゃん」。子どもの時に街の床屋の待合でボロボロになった「まことちゃん」を必死になって読んでいた。ギャグ漫画なのに目が笑っていない登場人物たち(という印象を僕はもった)。どこか狂気を感じさせる漫画だった。
漂流教室は同氏のSF超大作。この漫画を楳図氏のナンバーワン作品として認識する人もいるだろう。映画化もされた。その主題歌が伸びやかで素晴らしかった。誰が唄っているのかは忘れたが。そしてこの漫画(作品)で描かれるのは狂気と恐怖。
ある日忽然と学校が消えてなくなる。学校ごと何千年か先の地球に移動してしまう。食料も水もない場所での子どもだけの生活。いつも優しかった給食のおじさんが凶暴化したり、先生が子どもを殺したりする。子どもの中でも派閥争いが起きたり、謎の生物(未来人間?)が突然と出現したり。終盤では虫垂炎となった同級生をカッターで手術する場面なんかも出てくる。執刀医は何故か医者の息子。それだけで手術をやらされる。ほぼ無麻酔で行いその手術も何故か成功してしまう。
個人の狂気。集団の狂気。母の狂気。とにもかくにも狂気だらけ。小学校低学年の子どもが読むと、トラウマ体験として刻み混まれそうな内容のエピソードばかり
Kindleで全6巻で描かれるこの作品の結末が唯一の救い。 お盆休みに読むには丁度良い漫画かもしれない。
【書評】メンタライゼーションでガイドする外傷的育ちの克服
メンタライゼーションは確か昔にちょっとだけ勉強したことがあった。一時期日本でもブームであったからだ。丁度十年ぐらい前だったかな。
その基本的理念は本書に書いてある。
メンタライゼーションmentalizationとは,「自己・他者の言動・行為を,心理状態(欲求・感情・信念)に基づいた意味のあるものとして理解すること」を意味し,メンタライズするmentalizeという動詞形で使われます(第3章参照)
言われてみると「ふーん、なるほどー」と言う定義なのだけれどいまいちこれがどういうことであるのか腑に落ちるまでにはその当時は至らなかった。何だか曖昧なままで終わってしまったのだ。
勉強するときに読んだ訳本が至極難しかったからかも知れない。ほとんど理解できなかった。
しかし本書はわかりやすい。日本語の平易な文章で具体例(臨床例)を交えて書いている。訳本出ないのも良い。無理矢理英語を日本語にした難解さがない。冒頭部分の例え(「ヒデヨリくん」と「ノブナガくん」の例え)がこれまた素晴らしい。
素晴らしい本というのはその後の読書の幅が広がってゆくものだけれど、本書もそうなりそう。前回の反省を生かし今度は原著にチャレンジしてみよう。とりあえずKindleで2冊ゲット。結構な金額だったので少し気合いを入れて勉強してみよう
ジュネーブへ
丁度数週前に仕事で行ったのはスイスのジュネーブだった。国外へ仕事で行くのは台湾に続いて2年ぶりのこと。 丸半日飛行機で移動するのは大変疲れたが、その間にずっと書籍の奧で埃を被っていた本を読破できたのは随分とすっきりした。爽快感が強まった。
読了した書籍はこちら。おそろしく分厚い書籍だった。精神療法のスーパービジョン制度の問題点を記した著。今まで朧気ながらぼんやり考えていたことが見事に言語化されていた。言葉はかなり難解で読み進めるのに骨が折れたけれど、読んで良かったと思えるものだった。しかしもう1回読む気にはならないなあ^_^;
しかしあとがきに記してあった以下の一文は至極納得が出来るものだった。覚えておこう。
タフでなければセラピーを行うことはできない しかし傷つきやすいがなければセラピーを行う資格はない。人がもつ傷つきやすさを守ることがスーパーヴァイザーの仕事であり、セラピストの仕事でもあるということを本書はきっと教えてくれるだろう。 (P417)
ようやくついたGenevaはレマン湖に佇む、それは美しい街だった。鉄道の駅周辺部はちょっとゴチャゴチャしていたが、旧市街は歩くだけで楽しかった。そして街中にゴミがあまり落ちていなかった。カラスを街中で見なかったのはそんな理由もあるのかもしれない。
食事も美味しかったが、なにせ物価が高い。マクドナルドに行っても軽く1000円は超えてしまう。スイスの平均年収を調べたら日本の2倍ぐらいあった。それぐらいあったらまあ生活できるか。
仕事の合間に教会で1時間ぐらいボーッとしていた。神聖な場所はやはり心が安まる。僕は神社で周囲の音に耳を傾けながら歩くのも好きだ。 そして、今後の仕事の方向性について色々考えてまとまったような気もした。
芸人バー
毎日降りる西東京の駅。いつも駅を降り立つのは22時過ぎ。ここ数年大きな変化があったその駅の北口はサラリーマンでごったがえしている。大きな変化とはいくつかの会社と大学が再開発で引っ越してきたのだ。だから随分と人が多くなった。めまいがするほどの人混み。僕はこの街と会社の間を10年以上行き来している。小学生の時も含めると20年以上になるだろうか。この数年で随分と風景が変わった。時代が変わった。
だからいつもと同じ風景、人の顔を見ると安心かつ安堵する。そんな人物の一人がこの駅にいる。北口の改札口を出ると決まって、飲み屋の呼び込みの人が立っている。30代後半とおぼしきその女性は「芸人バー」という立て看板を首から提げている。もうすぐ夏だというのに少し厚手の服。温暖の感覚がないのかな?と疑ってしまう。
芸人バーという名前は明るい雰囲気を予想させるが、その看板を首から下げた女性は恐ろしくつまらなそうだ。はっきり言ってやる気が毛頭感じられないと言ってよい。この世のつまらなさをすべて一心に受け入れたかのような表情をしている。呼び込みにも全くやる気が見られない。表情は変わらない。
でも変わらず愚直にまじめに生きている(と思われる)。あんなにつまらなそうなのに、仕事をしている。それが生きるということなのかもな。そうして僕も生き延びる勇気をもらっているのかもしれないな。とふと考えた。