FakePlasticTree

ひびのいろいろ

急に寒くなり、ふりかえる

祖父がなくなったのはもう10年以上前。僕が社会人になってからのことだった。

生前は温和ながら芯が強く、あまり感情を表に出さない人だった。たった1回烈火の如く怒ったことがあった。それは僕がまだ10歳手前位の年齢だった。弟が食事に文句を言った時だった。いつも温厚な祖父が本当に厳しい人になった。確か平手打ちぐらいはしたかもしれない。あの顔と迫力そして声色を感じたら、大抵の人は震えあがるだろう。それぐらい怖かった。

定年まで毎朝5時前に起床し終業前の会社に向かっていた。家族がまた誰も起きてないのに淡々と1人で準備をしていたのを思い出す。仕事から帰ると習字や読書をしていた。図書館みたいな部屋があってそこに何の隙間もないほどに書籍が並んでいた。親戚が多いと誰でもその人に対しての悪口を言う人物がいるものだが、祖父に対して何か悪いことを言う人は聞いたことがなかっし、多分いなかった。

子どもながら「この人にはとても勝てそうにないな」とかそんなことを考えていた。何に勝とうと考えていたかはわからないけれど。

陸軍士官学校を出て戦地へ、戦後は自衛警察予備隊から自衛隊へと仕事を移った。陸軍士官学校へ入学したことは地元の新聞にも載った。陸軍の訓練を受けながら勉強し士官学校に入るというのは凄まじい事なのだそうだ。

頑ななところもあって出世とは少し離れた位置にもいたみたいだ。祖父から仕事の話は一切聞いたことがなかった。というよりも話さなかった。それは家族の誰に対してもだった。だから終戦のときに祖父が何処で何をしていたのかも僕は知らない。父親は「いろいろと言いたい事もあっただろうが、あえて黙っていたのだ」と話していた。そんな人物だった。昭和の戦争を闘った人々はそんな人が多い。SNSで直ぐに不平不満をぶちまける人々とは異なる信念がある。

今年、僕は祖父の十三回忌に仕事上の都合で行くことが出来なかった。そんな理由もあったのう。後ろめたさもあるのかもしれない。ふと祖父のことを思い出すことが多くなった。

自分は祖父ほど誠実に生きているのだろうか?

そんなことを思うことが多くなった。