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ひびのいろいろ

【書評】浮浪児1945.:戦争が生んだ子どもたち

浮浪児1945‐: 戦争が生んだ子供たち
石井 光太
新潮社 ( 2014-08-12 )
ISBN: 9784103054559

昭和の戦災孤児を追ったノンフィクション。 今まであまり触れられていたことのない題材であったのでとびついて購入して読んで見た。呼んだ結果大正解。素晴らしいノンフィクションだった。

終戦直前から終戦直後にかけて京成上野駅からJR上野駅に続く地下通路の中を多数の浮浪者がひしめき合い、横になれないほど混雑していた。上野に浮浪児や浮浪者が集まってきたのは地方からやってきた人々が食べ物を分け与えていたからだという。そして戦災孤児達はその中に混じり、達ながら寝たり大人に食事の面倒をみてもらいながら生き延びてきた。その流れは東京大空襲が起きた頃より一気に加速してゆく。

子ども達の中には自分の名前さえ知らない子どもや4-5歳の子どももいたという。そのような子ども達が天涯孤独で寒空の中で飢えを耐えていたかと思うとそれだけで胸が張り裂けるような思いに誰もがなるだろう。

そして終戦後,食糧難が一気に悪化したこともあって益々,浮浪児達の生活も困窮してゆく。そんな環境の中で”がむしゃら”に生きてゆく子ども達。アメリカ兵やパンパンと呼ばれた売春婦達との交流。そして最終的にはその子ども達のほとんどが施設へ収容されていく。

彼らの生活を本書で読むにつれて思い出されるのは,死刑囚であった永山則夫との比較だ。

戦災孤児の何割かがその後の人生を何とか生きて行くことができたのは,

  • 幼少期に愛着関係がしっかりととれていたこと。その後の人生でも愛着関係を持てる人に出会えたこと。
  • 同じ境遇の同世代の人々の存在

があったからであろう。逆を言うと永山にはあまりにもそれがなかった。正確にいうと機会はあったが不運が重なりすぎていた。

そして本書の最後に述べられている戦災孤児を多く扱っていた施設職員の以下のような言葉は戦災孤児以上の問題が自分達の社会にはオンタイムで存在し続けているのだということを改めて思い知らされる。

60年以上、施設の子どもたちを見てきた経験からそう思うんです。今施設で暮らしている子供って大半が家庭内暴力の犠牲者なんです。生まれた時からすでに親に存在を否定されて,何年も怒鳴られたり,殴られたりして,どうしようもなくなってここへ連れて来られる。そういう子ども達は,人間の根っことしての部分が弱いんです。芯ができていないんですよ。愛情がどんなものか分からずに生きてきたから,自分を支えるものがない。何かあった途端にダメになっちゃう。( p.274 )

と考えると今の現状のほうがより、深刻ということか