FakePlasticTree

ひびのいろいろ

サッカーの練習にて

子どもがサッカーを習っている。地域のサッカーチームに所属している。幼稚園の年長からだ。そして近頃のサッカー熱というのはやっぱり凄い。僕が子どもの頃の野球チームと同じような感覚。子どもというよりかは保護者の方の熱(気合?)が凄まじい。自分のチーム(子どもの一挙一動に歓声を上げる)。時にちょっと引いてしまうほどにその熱は激しい。

 
子どもが所属するチームは正月明けで地域の大会で優勝した。小学校低学年だからそんなに実力差は開いていないと思うし、たまたまの要素が大きいのだろう。しかし本人たちは体層喜んでいた。平日の何日かは学校の後サッカー。夜間はドリブル教室。休日は練習試合と子どもなりに頑張った成果が出て良かったんじゃないか。
 

真面目さと不器用さ

ここまで書くとたいそう 僕の子どもがサッカーが上手いんじゃないかと考えるだろうが実際はその逆。気合は大いにあるのだけれど何しろ体がついていかない。チームでもベンチスタートのことが多い。練習では下のチームに行かされてしまうこともある。
 
それでもひたむきに練習する姿が嬉しい。完全に親バカだと思われるかもしれないが嬉しいものは嬉しい。
 
小学校に入学して数年が経つと嫌でも自分自身の能力に直面化されることが多い。それも時が経つほどにその程度は加速する。悲しいけれどそれが現実というやつだ。努力は必ずしも実を結ばないことも分かってくるし、運命が無常なことも分かってくる。
 
それでもひたむきに何かをやる姿というのは良い。
 
昨日の夜はその子どものリフティングの練習に付き合っていた。僕の役割はあっちこっちに行ってしまうボールが近所の車に当たらないように見張っている役だ。そんなに登場の出番はないが結構緊張感のある仕事。ちょっとは役にたっていたと思う。
 
この日もリフティングは上手くできず辺りがどんどん暗くなっていった。ボールも見えなくなってきた頃にあまりにも上手く出来ず遂に子どもは静かに泣いた。声に出さないように泣いた。よほど悔しかったのだろう。小学校2年生だからそんなに上手く出来るはずないじゃあないか と僕は想うのだが。10回もできれば充分じゃないかと諭すのだが、周囲の子どもたちは何百回も出来るのだという。それが悔しいのだと思う。しかし練習をやめなかった。
 
そういう姿はやっぱり良いなぁと思った日曜日の夕方であった。