SonyのVAIOが終わってしまうなんて
VAIOよありがとう。
僕の20台後半はVaioとともにあった
僕が始めて就職した時に購入したパソコンは確かVAIOの505だった。就職祝いに確か親父からプレゼントされたものである。シルバーとパープルのいろあいがなんとも美しい、所有することになんとも言えぬ喜びを感じたパソコン、ノートブックであった。
このパソコン505で数々の仕事をした。自分の歴史の中で生涯忘れることのないぱであろう。
学生時代はこれまた親父のお古のMacを使っていた。いまは懐かしきクアドラとかパフォーマとかという名前のMacだ。そのMacから卒業し始めてのWindowsとなったのはこの505だった。
ジーンズのような型番のノートブックは所有していると塗装が剥げてしまうという欠点もあったが確かにそして確実にかっこよかった。今のMacBook Airぐらいの格好良さがあった。
それから何台かのVaioを乗り継ぎThinkpadから再びMacへと戻るまで20歳台の僕のしごととプライベートを支えてくれたノートブックはVAIOだった。
繊細で壊れやすくでもカッコイイVaio
壊れやすくて繊細ででもカッコイイ。そんなノートブックがVAIOだった。こんな気持ちを想起させるのはMacBook AirとVAIOだけではなかろうか。日本製のパソコンとしてこんなに誇れるものもなかった。ムーブメントを確かに生じさせたものであった。
その有機的な名前が確かに確実にカッコよかった。VAIOの新製品発表会などは今のiPhone発表会と同様に胸をときめかせて見ていた。
そんなVaioがソニーを離れる。
やっぱり寂しいといえば寂しい。こんなにさびしいことはない。しかし上記の記事を読むとそんなに悲観的に考える必要もないらしい。全く触れることのなくなったWindowsのパソコンだけど、Vaioの今後は楽しみでもありますな。