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ひびのいろいろ

【書評】ソ連が満洲に侵攻した夏

僕の祖母はもう随分前に他界している。その祖母は満州に戦前いたこともあってか、中国残留孤児の番組等を見て涙ぐんでいた。そしてことあるごとにロシア人の悪口を口にしていた。相対的に中国人には随分と感謝していた。祖母と同じ世代の人は同じような感覚の人が多かったようにおもう。あくまでも僕の周囲の人の話ではあるけれど。

本書はもう10年以上前に出版された書籍。その名の通りソ連満州へ進行した事実を実に分かり易くまとめたもの。半藤氏の著作はどれも分かり易く、切り口が明解なので何冊もその著作を読ませてもらっている。

本書を読んで改めて実感するのは以下のような日本人の悪癖。

起こって欲しくないと思うことは起こらないことにする

大戦末期になって日本は太平洋戦争の仲裁をソ連に期待していた。そしてソ連はきっと満州や日本に攻めてこないだろうと考えていた。そしてソ連いやスターリンの硬骨さ、非道さにも目を見張るものがある。しかしそれが世界の常識だったのかもしれない。ドイツはヒットラーが倒れた後には以下のような措置をただちにとったのだという。

ヒトラー自決後の、敗亡のドイツの総指揮をまかされた海軍元帥デーニッツの回想録『10年と20日間』を想起せざるをえない。すでにドイツの敗北を予見していたかれは、海軍総司令官の権限で、降伏の四カ月も前から水上艦艇の全部を、東部ドイツからの難民や将兵を西部に移送するため投入していた。ソ連軍の蹂躙から守るためである。こうして東部から西部へ運んだドイツ人同胞は二百万人を超えている。  敗戦を覚悟した国家が、軍が、全力をあげて最初にすべきことは、攻撃戦域にある

日本でも同じようなことはあったのかもしれないが、結局50万人以上の日本人がシベリア抑留という被害にあってしまった。日ソ中立条約なんてものは紙切れ同然で、それは軍部も認識していたらしい。

ソ連の侵攻にたいして、いまなお多くの人は中立条約侵犯を厳しく告発する。本文中にその点については明確にしておいた。が、書きづらいことながら、昭和十六年夏「関特演」作戦計画の実施か否かが真剣に論議されたとき、陸軍中央も外務省もほとんど日ソ中立条約を考慮にいれていない。当時の軍や外交のトップは政治や外交は本質的に揺れ動くものであり、約束が紙くず同然になることは百も承知していた。それが世界政治の現実なのである。その非をソ連にだけ負わせるわけにはいかないのである。

こんなことを承知していながら大戦末期になってソ連に期待していた日本が哀れにも思えてくる。結局「有史以来不敗の皇国軍」という呪縛に因われて井の中の蛙であったのかもしれない。作者が以下のように語る内容も納得できる。

満洲国という巨大な〝領土〟をもったがために、分不相応な巨大な軍隊を編制せねばならず、それを無理に保持したがゆえに狼的な軍事国家として、政治まで変質した。それが近代日本の悲劇的な歴史というものである

それにしてもスターリンは恐ろしい