【書評】悲しみの乗り越え方
誰しも喪失体験を抱えている。
日本中が多かれ少なかれ喪失体験にうちひしがれている。その対象は身近な人や物などであったり、生まれ故郷であったりその種類は様々だ。そして僕は仕事で東北支援に行ったこともあって、グリーフケアの本を何冊か今読んでいる。この本も本やに平積みになっていたのであまり深く考えずに読んでみた。内容は著者の体験談を中心に進んで行くので具体的で読みやすい。
「人生は小さな喪失体験の連続。日頃からある程度の心づもりを持ち、自分の死という最大にして最後の喪失体験に備えましょう」
というのが著者の言いたいことの1つな気がする
自分にとって今回の震災はとてもショッキングで中々言葉に言い表すことのできないことが多い。そしてそんな中で何かをしなくてはという気持ちになり、自分で出来ることをやってきたつもり。でもこう思うのと同時に震災直後からの気持ちの冷め方大きいことにも気付く。
仕事で東北地方に支援に行きながら「こんな臭いところ嫌だな」などとこころの中で考えてしまう自分がいる。最低だ。吐き気がするほど自己中心的な自分がいる。被災地の中に行ってもも風呂に入りたいと思うし、おいしいものが食べたいなあと考えてしまう自分。そういう駄目な所を認めた上で、人間(日本人?)とは特別素晴らしくもなく、かといって酷くもない。という意識を持ちながら少しでも進んで行きたい。
しかし本当に色んな人の色んな思惑が出てきて疲れる。全てを投げ出したくなることも多い。
人間は圧倒的に無力で孤独
本書で一番共感できたのは以下の文。
つまり、人間がふだんの人間関係でわかりあえることなど、もともと本当に限られている。人間というものは、本当に本当に孤独なものだと思うのです。
それは、私たちは謙虚でなくてはいけないということでもあります。親子であっても、夫婦であっても、喜び、悲しみ、苦しみについて、「ああ、わかります」なんていう相槌を軽々しく打ってはならない。
(少なくとも自分には)この文だけで著者が信頼できる人物だと確信する。作家の伊集院静氏のドキュメンタリー(情熱大陸だったかな)で割と同じようなことを話していたことを思い出す。
本質的に人間は圧倒的に無力で孤独なんだ。しかし社会全体があまりにも自己愛的で万能感に満ちあふれてしまい、そんなことが忘れ去られてしまっている。あらゆる状況で人間のできることなんて些細なこと。そんな中で自分たちができることは存在し生き続けることだけなんだ。
回復の過程は様々
なにか特別な方法があるわけでもない。特別な言葉がいるわけでもない。少し離れた場所から見続けてあげることくらいなんだ僕たちにできることは。精神科医や心理療法士だから何か特別なことができるわけではない。居続ける(寄り添う)ことに関して、ちょっとだけ耐性が高かったり技術があるのが僕たちの存在意義なんだと思う。テレビで流れているような安っぽい「頑張れ」「何時も蕎側にいる」なんて言葉はおそらく何の意味もない。
最後に
一点だけ、著者はよほど精神科医に偏見があるようだ。喪失体験に遭い体の支障をきたした場合に精神科や診療内科でなく、一般内科への受診を薦めている。「精神科・診療内科へ行くと薬漬けにされ、内科は弱い薬を出してくれる」ことがその理由らしいのだが、なんともなあと思う。
日本の精神科・心療内科の現状の一部分を現している言葉だとは思うが。 喪失体験の治療こそが精神科および心療内科の治療の基本部分でもあると思うし、多くの精神科医がこのことに取り組んでいると思う。