FakePlasticTree

ひびのいろいろ

傑物

神田橋條治の精神科診察室

神田橋條治の精神科診察室

どの世界にもその世界感が抜きん出てジャンルを超え神の領域(?)までいってしまう人というのがいる。 自分が所属する業界の中では神田橋先生がその代表的な人物だろう。その世界感は医学を超えて様々な人を惹き付ける。

精神医学は医学ではなく、この方の場合にはアートなのではないかとも思えてくるほどに他の医師には追従を許さない世界だ。 もはや、自分のような小さい人物には到底理解できない領域で、数ある著作を読んでも感嘆はするのみであるというのが現実のところ。

それでも自分の臨床に役立ちその幅を広げることができないか?と考えて本書を読んだ。本書は対談形式で書かれているのでとても分かり易く、架空症例を元にして論が進むのでその点でもイメージが頭の中で膨らみやすい。

中でも愛着障害(本書では「愛着の障害」としている)についての記載はとても腑に落ちた。 それはつまり以下の一文だ。

愛着障害というのはいかなる形で提供される愛情も、本人が、素直な形で受け取ることができない点にあるんです。

この一文に出会えただけで自分のシルバーウィークは価値があった。ちょっと大げさかもしれないがでもそんな気分になれた9月下旬だった。

【映画】友だちやめた

例年だったら連休があれば、その1日は街の小さな映画館に1人でいって、ドキュメンタリー映画を1つ見てくるのが自分のひそかな楽しみだった。しかし今年はそうもいかず。コロナ禍の中 東京の映画館に行くにはまだまだ勇気がいる。 しかし時代は進んでいるもんだ。オンラインで最新の映画を見ることができるらしい

studioaya-movie.com

というわけでこの映画を見た。耳が聞こえない映画監督(今村彩子監督)自閉症スペクトラム障害抑うつを合併した女性の2人の関係を描くドキュメンタリー。登場人物の1人である自閉症スペクトラム障害の特性をもつ「まあちゃん」は聴覚過敏があり、それが理由で手話での会話を主なコミュニケーション手段としている。手話は直接的な表現手段であるので自閉症スペクトラム障害の人々にとって相性が良いのだろう。そして実際に手話を達人なみに「まあちゃん」は使いこなしている。

まあちゃんは今村彩子監督の仕事を手伝ったり、2人で台湾や温泉旅行に行ったりするほど仲が良い。しかし付き合いが長くなるにつれて徐々に2人の関係に微妙な変化が起きてゆく。

自閉症スペクトラム障害の特性でコミュニケーションの障害があるとは分かっていても、自分の気持ち(感情)がついていかないことはもちろん医療現場でだってある。人を1人の人間として見ようと思えば思うほど何か自分の中で何を価値判断の基準にするか迷ってしまうことだって少なくない。自分の場合はそんな悩みを分かち合える仲間がいる。実際に1人の力ではどうにもならないことが多い。

それを監督は1人で誠実に向き合っていた。とても真面目で誠実な人なんだろう。それが伝わってくる良い映画だった。 こんな風に良質なドキュメンタリーが自宅で見ることができる時代になったとは。なんと幸せなことだろう。

iPhone11 pro

2年間使ったiPhone10の液晶画面を壊したのは山の中だった。何を考えたか、iPhoneを片手に持ちながら山の中を走っていたのだった。なんでそんなことをやったんだろう? と思ったけれどその時はひたすら山の中を走りたかったのだ。理由はよくわからない。

山の中をiPhoneをもって走らなければこんなことにはならなかった。あと最低1年は使おうと思っていたiPhoneXだったのに。山の下り坂を走って降りる最中に盛大にこけてしまった。そして案の定iPhoneXの画面は粉々に砕けてしまった。

そしてiPhoneを新規に購入したアップルストアSIMフリーの11Proを購入した。随分iPhoneは高価になった。少しというかだいぶ勇気がいる価格だ。でも購入してよかった。広角レンズが楽しい。11proにしてからカメラを別に持ち歩くことも少なくなった。

旅先でランニングをしていて、気軽に写真が撮れるのも素晴らしい。夜間や早朝でも綺麗な写真が広角で撮れるは助かる。

だってしょうがないじゃない

お気に入りの映画館「ポレポレ東中野」で上映されていたドキュメンタリー。

まとまった1日単位の休みができた時に僕はまずこの映画館のスケジュールをチェックする。そして面白そうなドキュメンタリーがあればまず第1にこの映画館で映画を見る。東中野駅から歩いてすぐの場所。地下一階にある映画館はとても居心地が良い。映画の待ち時間の間はこの映画館の上にあるカフェでゆったりとした時間を過ごせるのも凄く気に入っている。

https://www.datte-movie.com

だってしょうがないじゃない」は自閉症と軽度知的障害をもつ伯父(まことさん)とADHDと診断された映画監督のドキュメンタリー。まことさんは母親を亡くして独り暮らし。親戚の人の助けをかりて障害者年金を受給されながら暮らしている。生活は自閉症の方ならではの拘りに支配されている。端からみるとかなり息苦しいように思えるような生活だが、なんとなくの安心感もある。それは僕自身が自閉的傾向があるのからかもしれない。一定のリズムで生活している姿、変わらない変化が少し心地良いのだ。

f:id:yoshitaka4729:20191123164032j:plain

でもこうやって「まことさん」が安定的?に生活できるのは周囲の人の助けがあってこそだ。成人になってから医学的な診断をうけ、福祉サービスに繋がったのは凄く幸運なことだと思う。僕らより上の世代は発達障害という概念自体がまだ世の中に浸透していなかった。だから「まことさん」と同世代で診断もされず、周囲にも理解されないままに苦しんでいる人々はきっと沢山いるのだろう。そういう意味で人との繋がりが無いようでいてちゃんとあった「まことさん」は凄く幸福な人なのかもしれない。

男はつらいよ

久々の映画だった。正月休みに是非とも行きたいと思っていたので早速この映画を見に行った。

www.cinemaclassics.jp

子どもの頃、映画「男はつらいよ」は僕の父親が休みの時には決まって見ていた映画だった。映画館に観に行ったことはなく、テレビのロードショーをVHSに録画しておいたものを日曜日の昼間とかに家族で見るのだ。そして、寅さんの行動を見ながら居間のテーブルに家族四人で泣くほどに笑いながら 「またまた!トラの奴はだめだなぁ」と言い合いながら映画を見ていた。最後に美女に振られるというストーリーは分かっていながらもそれでもその予定調和というか変化のなさ(様式美)に安心しきって平和なひとときを過ごさせてもらった。途中から寅さんはほとんど出演しなくなり、甥の満男中心の物語になったのだけれどそれはそれで大好きな作品だった。満男演じる吉岡秀隆氏が僕と同世代というのもあるのかもしれない。氏の主演した「北の国から」と同時に僕は大人になったのだ。

そしてやっぱりこの映画を見て良かったと思った。途中から泣けてしかたがなかった。もう一回 会いたいけれど会えない人をひたすら想う作品。そんな気がした。それは自分の幸せだった時代(歳を取ると昔は幸せだったと思うものだけれど)がもう二度と戻らないのだ、としみじみ想うことにも似ているのかもしれない。だから途中から泣けて仕方なかった。なんでこんなに泣けるんだろうと思うほどに泣けてしまった。

劇場はお年寄りばかりだったせいもあってか、昭和の映画館のような雰囲気が満載だった。映画が終わり、最後に客席から自然と拍手が巻き起こった。そんな映画は自分は初めてだったし、でもそんな映画なんだろうと思った。

映画 閉鎖病棟ーそれぞれの朝ー

www.toei.co.jp

職業柄 映画の背景にちょっと興味があったのと 連休中に事務仕事がたまっていて何か気分転換をしたくてこの映画を見に行ってみようと思った。舞台は長野県にある閉鎖病棟を有する精神病院。そこに入院している3人の患者さんを中心に物語が進む。しかしかなり精神病院(閉鎖病棟)と患者さんの設定に異和感があり、物語にとても入り込めなかった。この映画には精神科医のアドバイザーとかいなかったのだろうか?と思う。

なにせ主人公の1人は死刑執行に失敗した死刑囚が行き場所がなくて 精神科病院をたらい回しにされているという設定なのだ。その他の登場人物の設定もなんだか色々おかしい。そしてなによりも閉鎖病棟なのにまったく患者さんが守られていない。作家はなにを根拠にこんな設定をしたのだろう。精神科病院に大きな偏見があると言わざるを得ない。こんな映画が全国的に放映されれば精神科に対する偏見が益々増加するばかりだと思う。

しかしそれに反して役者の演技が素晴らしかった。特に主役3人の演技は特筆すべきものがあった。それを見るだけの価値はこの映画にはあるのではないかと思う

自殺で遺された人たちのサポートガイド―苦しみを分かち合う癒やしの方法―

自殺で遺された人たちのサポートガイド―苦しみを分かち合う癒やしの方法―

自殺で遺された人たちのサポートガイド―苦しみを分かち合う癒やしの方法―

1日で読み切った。重い話題の書籍などで途中で息つく暇もなかったというのが本音だった。身近な人が自死するというのはその辛さがとても想像できないほどに過酷な事象だろう。でも、それは稀なことでではない。日本では減少傾向にあるとはいえ、毎年1万人をゆうに超える人々が自ら命を断っている。ということはその周囲にいる関係者も数万単位で存在するということだ。

それは保護者だったり兄弟だったり、子どもだったり配偶者だったりするのだろう。本書はタイトル通り自殺で遺された人々に向けて描かれた書籍だ。

具体的な事例が膨大にわかりやすく書かれていることで、「あなたはひとりではありません」というおそらく本書で作者が一番言いたいことが嫌でも伝わってくるように思われる。そして遺された人々がどんな感情が出てもそれは不思議なことではない、ということも大きな助けになると思う。サポートグループの存在とその重要性についても、知らない人は知らないだろう。とにかく孤立しがちな人々にとって望みの1つとなるような本だと思う。こういう書籍を日本語化してくれた人々には本当に感謝したい。

第九章の「親を自殺で喪った時」は子どもの臨床を私はしているので大変ためになった。特に幼い子どもにどう伝えるか?という点から参考にすべきことが多かった。

また最終章の回復に向けての言葉も具体的かつ実践的で良い。それは以下のようなものである。

  • 何故だったかは決して分からないでしょう
  • 悲しむことと愛することは違います
  • 紙に書いてみましょう
  • 本を読むこと
  • 他者を手助けする-あなたの学びを活かすこと
  • 故人を記念するもの

巻末には推薦図書や自死遺族を支援するサポートグループの紹介もある。こういう所に優しさというか良心を感じる。とにかく自分が今の仕事をやっていく上で回避できない問題だけにこれからも勉強は続けていかなければならないなと改めて思った9月の連休であった。